蝶の夢−Abyss−



現実は、こうも残酷で無慈悲なのか。
今までどうやって生きていたのか、もう、わからないのに。



ベッドの上で夢と現実の狭間に漂いながら、腕をシーツの上に滑らせると、あるはずの温もりがなくて、驚いて一気に目が覚めた。
(ああ、そうだった)
昨夜、セナをまもりの所まで送ってきたんだった。手を握って、他愛も無い話をしながら、ゆっくりゆっくり歩いて。俺が泊まらずに帰る事を知ると、大きな瞳に涙を溜めやがるから、慌てて抱きしめた。

『ひるまさん、帰っちゃうんですか?』
セナの涙声が、抱きしめた俺の腕の中からポツリと聞こえた。このまま、「やっぱヤメだ」と言ってセナを連れ帰る事が出来れば、どんなにかいいだろう。
『あぁ』
『僕…僕、やっぱりお邪魔でしたか?』
『ちげーよ』
『じゃあ、どうして?』
『セナ。俺は、この先ずっとお前と一生を一緒に暮らしてぇ』
セナにだけ聞こえるように、耳元で囁く。
『だから、その為の準備がしたい』
『準備…?』
『そ。いつまでもシングルベッドじゃナンだろ?』
抱きしめていた腕を緩め、少し上半身を離してニヤリと笑いながら言ってやった。みるみる赤くなっていくセナに、余計に顔が緩む。
『…ッ。もう!』
『大丈夫だ。すぐ迎えに来るから』
『はい。…じゃあ、僕も、まもり姉ちゃんにひるまさんの素敵なトコロをいっぱい話して、心から祝福してもらえるように頑張りますね!』
『手強いな…』
『ふふっ…そうですね』

たった一日。たった一日で、俺はセナの温もりに慣れた。セナの居ない孤独に耐えられなくなった。今までどうやって生きていたのか、わからないくらいに。今だって、ベッドの右側を無意識のうちに空けて寝てしまっている。
「セナ…」
言いようの無い何かが溢れて零れそうで、両手で顔を覆った。



「珍しいな、お前から話があるなんて」
ムサシは、普段滅多に訪れて来ることの無い目の前の客に驚きの声をあげた。
「あぁ、まぁな」
少し憮然とした態度の蛭魔に苦笑しながらも、部屋の中へと案内し座らせると、ムサシは蛭魔と向き合うようにして座った。だいたいの用件は、何となく察しがついている。ムサシはタバコを一本取り出し、火をつけて大きく煙を吸い込む。それをゆっくり吐き出して、話を切り出した。
「例の、蝶の事か?」
「さすが、察しがついているのなら話が早い」
案の定。さらにニヤリと蛭魔が笑うのを見て、その先の話の内容まで容易に想像が付いてしまった。 「言っておくが、俺は賛成せんぞ」
「……チッ」
蛭魔は舌打ちをして、苦々しげにそっぽを向いた。そんな蛭魔に、ムサシは大きな溜息をつきながら話を続ける。
「当たり前だろうが。種族が違うんだぞ?食いモンや習慣だって違う。それに、お前と一緒に居るって事は、常に危険が付きまとうって事だ」
「んなの、テメェに言われなくても分かってんだよ」
「わかってるなら、余計やめておけ」
「………」
「………」
両者の間に重い空気が漂う。長い沈黙が、横たわる。二人はしばらく身動きすらしないまま、各々の思考を巡らす。
ムサシだって、意地悪でこんなことを言っているのではない。自分には異種間の恋愛がどれだけ難しいかを知っている。だから、余計に反対したくなる。破天荒な性格はしているが、蛭魔は黙っていれば容姿端麗だ。それこそ、お近づきになりたがっている女は星の数だ。無理に異種の、それも男なんかに固執しなくても…と、そう思ってしまう。
二本の指に挟んだタバコが燻る様を見つめながら、それでもやはり蛭魔らしいと思った。どこまでも真っ直ぐで、目的の為なら手段を選ばず。でも、そんな蛭魔にだって限界はあるだろう。
「…幸せにしてやれんのか?」
「…何?」
沈黙を破ったのはムサシだった。
「愛し合ってるからただ一緒に居られるだけで幸せ、とか下らん事を言い出しそうな雰囲気だったんでな」
「テメェ…」
「そんなに甘いもんじゃねーんだよ。それにな…」
今にも掴みかかって来そうな蛭魔を牽制しつつ、あの日からタブーとなっていた単語を口にした。
「絶縁状態だからと言っても、お前が王族である事に違いは無い。現王がお前を次期王だと言えば、否応無しに祭り上げられるんだぞ」
そう、蛭魔は自分達の種族の第一王位継承者だ。いくら絶縁状態だとはいえ、それは今も覆りようの無い事実。さらに現王は病床に伏し、そう長くないという話まで流れている。情報網があらゆる方向に伸びている蛭魔のことだ、知らないわけが無い。現王は今、蛭魔を血眼になって探しているハズだ。捕まってしまえば、きっと蛭魔は二度と自由に外を歩くことは出来なくなるだろう。こんな風に悠長に話をしているような状況じゃないのは、お互い重々承知している。
それでも、何に対しても王位にさえも、執着を見せなかった蛭魔が、危険を冒してまであの蝶の話をするために、ムサシの所まで赴いた。ムサシは、蛭魔の想いの深さを見せ付けられた気がした。
でも、それでも、

「俺はお前にだけは幸せになって欲しいんだよ、蛭魔」






>NEXT(蝶の夢−Intrigue−)へ


いよいよクライマックスへと向けて、お話が傾きだしました。
まだ糸の端っこを掴んだに過ぎませんが。
最終回まで絡み合った糸がどう繋がって一本になってゆくのか。

自分自身不思議なのですが、頭の中でお話を考えていても、いざ、こうして文章にしていこうとすると、全然筆が進まず。パソコンの前でうんうん唸ってばかりで。でも、登場人物たちを素直に行動させると、どんどん文章になって行くんです。
ん?なんか天然ぽい発言だな(苦笑
えーと、なんてゆーかね、この子ら勝手に行動してくれるんですよ。で、それを私は文章にしてるだけ。
あれ。余計、頭弱い子みたいだ(笑

とにかく難産でした…。

【2006.03.25】